高校生にして月収150万円!与沢翼のお金を稼いだ手法とは?

奇跡の復活を遂げた与沢翼。

投資の世界で見事返り咲いた彼は、投資の腕もさる事ながら、ビジネスの面でも一流だ。

 

特に注目なのは、高校を中退し、17歳にして月に150万円ほどを稼いでいたこと。

 

一体彼はどのようにして、大人でも難しい月に150万円という大金を稼ぎ出したのか?

この記事では若き日の彼のビジネスを見ていこう。

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与沢翼のお金を稼いだ手法

いわゆる不良だった与沢氏。

彼は群馬県の田舎で、旅館を営む比較的裕福な家庭に育ちました。
彼の家族は経営のバックグラウンドを持ち、父親は千葉大学を卒業後、スタンフォード大学の経営大学院を修了し、大手企業の重役を務めています。
そんな経営者一家のもとで育った与沢氏は、中学時代からアパレル業界に興味を持ち、特に衣類の転売に着目しました。

アパレルビジネスを始める

 

後にアパレルショップを経営する与沢氏だが、中学時代からアパレルに特化したビジネスを行う。

服の転売だ。

しかし、普通に服を安く仕入れ、他の人に売った訳ではない。

いらなくなった服や、履けなくなった靴をもらい、自宅にて展示。

 

紙袋に入れて、福袋として販売。

隣町のフリーマーケットなどでも販売し、月に30万円ほどを売り上げた。

この経験が商売人としての彼を作る。

月収150万円の基礎作り アルバイトで経営スキルを学ぶ

中学時代は服の転売で成功を収めていた彼だが、高校は中退。

当時のお客は、学校に通っていた人が中心だった為、この手法は使えない。

 

その後、まずはアルバイトに着手した。

時給680円のガソリンスタンドやカラオケ店、デリバリー、工場など様々な職をこなした。

数々のアルバイトをし、経営手腕を強めていったのだ。

 

圧倒的な労働時間でお金を稼ぐ

当時学校に通っていなかった与沢氏のアルバイトの勤務時間は、1日15時間におよぶ事もあった。

一度に3つのバイトを掛け持ちし、働き続けた。

周りが遊んでいる中で、働くのは辛くはなく、むしろ優越感があったと語っている。

 

時給の限界

しかし、時給で働くことに限界を覚える。

当時の時給は800円。

日給は12000円程度。

1日に15時間休みなく1ヶ月働いても月の収入は36万円。

これではダメだと彼は行動を起こす。

 

ラーメン屋に直談判

ラーメン屋に直接オーナーと交渉し、アルバイトとして採用。

時給は1200円。

当時の時給や立地を考慮しても破格の金額だ。

彼は自ら交渉することによって、より利益率の良いアルバイト先を確保したのである。

時給の差

時給1200円と先ほどの時給800円を1ヶ月で計算してみよう。

時給800円の場合
時給800円×15時間×30日=360.000円

 

時給1200円の場合
時給1200円×15時間×30日=540,000円

 

およそ18万円の差になる。

アルバイトだけで54万円の利益を獲得していた。

これを基盤に更に活動していく。

今や圧倒的な結果を残している方々でも、アルバイトからスタートした方は非常に多い。

ただ単にお金を稼ぐだけでなく、しっかりと知識を得ることも大事だ。

月収150万円のビジネス バイクの転売

これが、彼を月収150万円にまで押し上げたビジネスだ。

着目した点は、ZRXというバイクを15万円ほどで購入し、先輩に25万円で売れたこと。

この経験から、バイク転売に力を入れ出した。

 

価格が近所のバイク店よりも割安の金額で提供する。

めんどくさい手続きは自ら行う。

世代格差を狙い、更には現金一括で購入することで値引き。

分割決済も完備。

 

人がめんどくさがるものは全て行った。

仲介業にまわる

仕入れなくてもいいのではないか?

この疑問が与沢氏を変える。

与沢氏は、自ら購入するのではく、バイクが欲しい人と売りたい人を繋げるサポート役に

当時の携帯には1000件×3台 およそ3000件の連絡先があり

更に派生し、1万人規模で取引が出来た。

 

後にセルシオやシーマなどのVIPカーなども取り扱うようになった。

散財していたが、当時700万円もの貯金を作った。

まとめ

17歳にして月に150万円。

貯金は700万円を達成した彼のビジネス着眼点は素晴らしい物がある。

 

今回は与沢氏がまだ無名だった頃の話だ。

現在は資産70億を形成している。

 

ぜひ合わせてこちらも読んで欲しい。

 

彼のビジネスで得た知識が投資に生かされていると考える。

様々な分野を広く見る視野、行動力と決断力。

社会で活躍する上で欠かせない。

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